満泉寺(村上氏居館跡)
アクセス(経路・駐車場案内)
地図
経路
上の地図のとおり、満泉寺の前の道は細いんですが、葛尾城登城口がある坂城神社裏から真っ直ぐ南に下りた場所にありますし、その先には坂城宿ふるさと歴史館、さらにその先はしなの鉄道の坂城駅がありますので、わりと坂城のメインストリートっぽい道路沿いにあります。
駐車場
ここが満泉寺への入り口となります。
写真の左手に数台停められる駐車場があります。
満泉寺
この細い道を進んでいくんですが、車が通れるかどうか?通れたとしてもギリギリの幅しかないので、手前の駐車場か山門の前にも駐車場がありますので、そこに停めたほうがいいでしょう。
突き当りを直角に左に曲がります。石碑や説明板が立ち並んでいます。
長野県史跡村上氏居館跡の石碑です。
書かれてあるのは以下の通り。
この館跡は、村上氏が旧更級郡村上郷から坂城郷に移ったとされる南北朝時代末頃に葛尾城とともに構築し、戦国時代に信濃の一大豪族として活躍し、天文22年4月村上義清が武田信玄により没落するまで、160余年村上氏代々の居館であった。当時の規模は明確でないが、現満泉寺を中心とした方170メートルに及ぶ広大なもので、内郭とその周囲を取りまく外郭から成っていたものと推定される
現地石碑より〜長野県教育委員会・坂城町教育委員会
直角に曲がるとすぐに満泉寺の山門が奥の方に見えます。
山門の右手にも参拝者用の無料駐車場があります。
山号はその名も村上山。
いかにも村上市の居館跡って感じでいいですね。
満泉寺は葛尾山のすぐ麓にあります。
現地を訪れてみると、位置関係的に普段はここで生活し、戦時には葛尾城に籠もり応戦したであろうことがよくわかります。
村上義清公墓所(供養塔)
アクセス(経路・駐車場案内)
地図
経路
現地に建てられた看板です。
墓所は旧北国街道沿いにあり、田町十王堂の交差点のすぐ南にあります。
駐車場
墓所の道路を挟んで真向かいに数台停められる無料の駐車場があります。
村上義清公墓所
正面から見た村上義清公墓所。
供養塔は建物の奥にあります。
この建物の右の通路を進んでいきます。
村上義清公供養塔です。
供養塔の横に建てられた看板。
説明文は以下の通り。
この墓所は、第三代坂木代官長谷川安左衛門利次が、名家遺跡の忘失を憂え、戦国の雄将村上義清公の墓所建設を思いたち、明暦三年(1657)義清公の玄孫義豊や村上氏の臣出浦氏の子孫、正左衛門清重らにはかり、自ら施主となって出浦氏所有の墓地に、義清公供養のための墓碑、「坂木府君正四位少将兼兵部小輔源朝臣村上義清公神位」を寄進によって説下したものである。その後、寛保二年(1742)清重の子清平が玉垣を築き、寛政三年(1791)清平の子清命が、石柱「御墓所村上義清公敬白」を建てた。昭和四十五年以来諸整備補修が行われ、昭和四十七年墓碑の上屋と鉄柵が設置された。平成八年には全面的改修となり、現在の諸施設になった。
現地看板より〜坂城町教育委員会
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最終訪問日:2022年8月25日